まんまを見るということ

視覚の多面性についてとても気になっています。

ここ数年自分の目でものを見れるようになりたい(視覚に限らず五感すべて)と思い、意識的にレビューや口コミを見ないようにしていました。

映画を観ることも、食べ物を食べることも、何か作品を鑑賞することもそうですが、社会的に良いとされているものも自分にとっては良いと感じないことが往々にしてあるということに実感として気付きました。

視覚についても考えていくと、例えば街に出た時目に入る「ビル」も社会的な解釈をした概念としての「ビル」だと思うし、犬のフンを見たとしたら汚いという社会的なフンとして見ているわけで物質そのものとしてのビルや、そのものとしての「フン」として見ることはすごく難しいし社会の中で生きてきた人がそのものとしての物を見るのはとても難しいことなんじゃないかと思いました。

そのまんまを見ることって難しい。写真史における新即物主義(ノイエザハリヒカイト)はこれにあたるのかな。

社会的な解釈をせずにそのものとして見られたら人も物も全て美しく目に映るんじゃないかなあと今日思いました。

自分は最近木や水や石が本当に美しいなあと感じます。

でもありのまますぎて美意識とか失ったらまたそれは別問題だし、放棄することと同義にしないように自意識を持って美しく生きていきたい!